浪人

2004年11月8日 エッセイ
受験生にとっては「もうすぐセンター試験」という時期なのでしょうか。
自分はYゼミで一年間の浪人生活を過ごしました。が、やってくる模試や試験を意識して勉強する事は結局できず仕舞い。授業を聴いて、「ふーんそうなのか」「なるほどー」とか思ってただけ。

浪人時代前半は「勉強するべきなのか?」という問いに答えを出せないまま病んでいた
打って変わって浪人時代後半は最も生き生きしていた時期だった。
その理由は、何もかもから解放されたこと。(実際は障害から目を逸らしただけだが)
受験勉強からも解放されて…
浪人生のくせに…
何でそれで大学受かったのかは、センター試験でいい点獲れたからなので、突き詰めればなぜセンター試験がうまくいったのかに帰着する。
心身ともに非常に安定していたからでしょうね。きっと、心が解放されたことが良い方向に作用したのでしょう。

その結果生まれた哲学(と呼ぶほどのものでもない)が、「やる気が起こらないことはやらない」だった。
(「やりたくないことはやらない」ではない)
否定文となっているあたりが、いかにも自分の性格が出ているかも(笑) 基本的にヘタレですよ。
在籍した高校の校風も影響してるか。「やりたいことができる」というよりむしろ「やりたいことしかできない」高校でした。

やる気が起こらないうちはやらないので、大学で何かしらの団体に属することは、その意欲が生まれなかったためしなかった。のんびり過ごす生活への憧れすらありましたし。
じゃあ何で勉強だけはやり始めたのか…? 他にやることもなかったので。
大学でやりたいことはなかったし、むしろ大学にいく気すらなかった。
(2浪目に突入して、初めて目を覚まし勉強を始める予定だった)
それ以外にも、大学生活に憧れを抱きつつ入りたくても入れなかった人もいる中で、そんな自分が大学に受かった意味を考えたとき「学問をやれ」って意味しか思いつかない。そして、今に至る。

あの頃の望みは何だったのか。
高校の友達と一緒にいたい。それが浪人した一番の理由だった。予備校も友人の多いYゼミを選んだ。同じ授業が多くなるレベルを選んだ。
大学で新たにそういう関係を作ろうとは思わなかったのか?
現状の大学の空気にイマイチなじめなかったのかも。正確には大学生の空気。教員(の一部)とはうまくいった。
(今思えば、合わない人達ともそれなりにうまくやっていく能力(忍耐)が必要でしたね)

予備校の環境は居心地良かったです。それぞれの目標が厳密には異なっていても、少なくとも過程を同じとする者達が努力している。自分は努力しなかったくせにさっ。

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