「キーチ!」を読んで、こちらも読んでみた。
噂の「宮本から君へ」はまだ読んでません。

1・2巻だけ読んだけれど際立って変わったところが無かった、かな。

とりあえず印象的なセリフ。
天才の略奪行為、暴力的差別が許される競技や。
凡人の夢も希望も、努力・気迫・根性も
天才の前には全てが無意味になる。
天才の美しさを見せつけるスポーツ、それがボクシングや。
これはボクシング論ではなく、天才論であると自分は捉えてます。特に2行目、自身の経験と重なってなおさら響く。

自分が何をしても絶対敵わない。
自分の半分の労力で倍の仕事をこなす。
そんな人達がこの世には確かにいる(いた)のです。

上には上が必ずいる事は、早く認識できるに越したことは無いです。その人が本当に優れた才能を持っていたのなら別な話ですが。
自分より優れた存在を意識する事で、謙虚な気持ちが持てる。
さもないと知識のひけらかし・自慢・知ったかぶりをしてしまう。人によって考え方は異なるだろうけど、これらの行動は周りから見ると非常にみっともない。(本人はそう認識していないにも関わらず)

それを思い知るのに、うちの高校は適切でした。

2/27にも似たようなこと書いてたな…

四次元マスク

2004年11月14日 エッセイ
今朝のラジオでのトークによると、猛暑の影響で早くもスギ花粉が飛び始めているらしいです。そして来春の花粉の量も悲惨なことになりそうだとか。(今年の春が少な目だった反動もあるのか?)

最近鼻水が出たり、目が痒かったりすると思っていたら、そういうことだったのか。まだ少ないみたいだから室内でじっとしているうちはいい。けれど自転車で走るとなると、マスクを出動させなければならない事態になるかも…今がいい季節だってのに。

少しでも花粉の被害を減らそうと、今年の春からは超立体マスクを導入。
すぐに効果が実感できるものではない(今年は花粉少なかったし)が、安心感があります。
超立体と名乗るくらいだから、立体を超えた四次元の技術が生かされているんでしょう。
コラ

以下、素人考えですが…
よく四次元というと「三次元空間+時間」の4軸だという話を耳にする。
けれど自分の考えでは四次元はあくまで「四次元空間」なんです。空間が四次元で、四次元空間でも時間は独立した軸として存在してるんです。
だいたい三次元まではx,y,zと長さの次元が続いて、次がtに変わるなんておかしいじゃないですか。
x,y,z各軸が直交していて、空間上にはこれ以上直交した軸を増やせない
なーんてのは、自分たちが三次元の空間での思考力しか持っていないからですよ。二次元の住人たちもきっと「これ以上増やせない」と同じ事を考えていることでしょう。
自分も三次元の住人なんで、四次元空間がどのようなモノなのかは想像できません。けれどそこでは、当たり前のように4軸全てが互いに直交しているはずです。

浪人

2004年11月8日 エッセイ
受験生にとっては「もうすぐセンター試験」という時期なのでしょうか。
自分はYゼミで一年間の浪人生活を過ごしました。が、やってくる模試や試験を意識して勉強する事は結局できず仕舞い。授業を聴いて、「ふーんそうなのか」「なるほどー」とか思ってただけ。

浪人時代前半は「勉強するべきなのか?」という問いに答えを出せないまま病んでいた
打って変わって浪人時代後半は最も生き生きしていた時期だった。
その理由は、何もかもから解放されたこと。(実際は障害から目を逸らしただけだが)
受験勉強からも解放されて…
浪人生のくせに…
何でそれで大学受かったのかは、センター試験でいい点獲れたからなので、突き詰めればなぜセンター試験がうまくいったのかに帰着する。
心身ともに非常に安定していたからでしょうね。きっと、心が解放されたことが良い方向に作用したのでしょう。

その結果生まれた哲学(と呼ぶほどのものでもない)が、「やる気が起こらないことはやらない」だった。
(「やりたくないことはやらない」ではない)
否定文となっているあたりが、いかにも自分の性格が出ているかも(笑) 基本的にヘタレですよ。
在籍した高校の校風も影響してるか。「やりたいことができる」というよりむしろ「やりたいことしかできない」高校でした。

やる気が起こらないうちはやらないので、大学で何かしらの団体に属することは、その意欲が生まれなかったためしなかった。のんびり過ごす生活への憧れすらありましたし。
じゃあ何で勉強だけはやり始めたのか…? 他にやることもなかったので。
大学でやりたいことはなかったし、むしろ大学にいく気すらなかった。
(2浪目に突入して、初めて目を覚まし勉強を始める予定だった)
それ以外にも、大学生活に憧れを抱きつつ入りたくても入れなかった人もいる中で、そんな自分が大学に受かった意味を考えたとき「学問をやれ」って意味しか思いつかない。そして、今に至る。

あの頃の望みは何だったのか。
高校の友達と一緒にいたい。それが浪人した一番の理由だった。予備校も友人の多いYゼミを選んだ。同じ授業が多くなるレベルを選んだ。
大学で新たにそういう関係を作ろうとは思わなかったのか?
現状の大学の空気にイマイチなじめなかったのかも。正確には大学生の空気。教員(の一部)とはうまくいった。
(今思えば、合わない人達ともそれなりにうまくやっていく能力(忍耐)が必要でしたね)

予備校の環境は居心地良かったです。それぞれの目標が厳密には異なっていても、少なくとも過程を同じとする者達が努力している。自分は努力しなかったくせにさっ。
11/3の「いろんな事」のひとつです。
自転車で走りながら考えていた事です。自転車中は、いろんな事をしっかり考えている全く何も考えていないかのどちらかなので…
自転車を止めて、一気に携帯電話に入力してました。芸術文化センター前で(笑)そしてPCにメールで送信。
以前から考えていた事が、やっとまとめられました。

前置き1
運転免許を取得して当然自動車を運転する資格を得るわけですが、車校でいろいろ教わり、また自分で運転し始めると変化がそれだけではないことに気付きます。
交通ルールを熟知できることはもちろんのこと、自動車に対する意識の変化、具体的には「他の運転手の目を見る」ようになりました。
自分で自動車を運転しているときに限らず、歩き・自転車のときもフロントガラス越しに運転手の目を見ていますね。
「運転手の視線はどこを向いているのか」
「こちらの存在に気付いているのか」

これらを意識すると、かなり危機回避がし易くなりました。
それまで自動車全体を動く物体として見ていたのを、「動かすのは人間であり、どう動くかは人間次第」という当たり前のことにやっと気付いただけなのですが。

前置き2
私は自転車ツーキニスト(正確には通学)ですが、その行程はほとんど街中。
通学時に限らず常に自転車乗りに付きまとう問題の「自転車で通行する場所」ですが、私は基本的に歩道です。自転車本来の能力を生かすため(また歩行者の安全のため)には車道を走るべきなのですが、現在の日本の交通事情では車道を走ると逆にストレスが溜まってしまいます。(交通量が少ない場合は車道走行)
もちろん歩道走行時は歩行者最優先で、ビックリさせることもしないように心がけています。
のんびり進む派だし気持良くなければ自転車通学をする意味は無いので、今はこうするのがいいかな、と。

本題

昨日の出来事。
自分は自転車で歩道上を進行、右側の車道からは減速・左折し歩道を横断してガソリンスタンドに入る車。お互いそのままの速度だと、ちょうど車両先頭同士がぶつかりそうなパターン。
どちらかが止まるしかありません。結局自分が止まりました。
気付いた時から運転手の目を見ていましたが、その視線は進行先しか見ていない(だからこそ自分が止まったのですが)。左折前に歩行者や自転車が見当たらなかった(自分は街路樹の死角にいた?)から、そのまま進入したってところでしょうか?(まさかこちらが止まること前提で突っ込んでることはなかろう…)
自分には十分余裕がありましたが、そうでない時があったり自動車の方が止まると思ってたりすると、普通に通行してるだけで危険です。普段からコマメに注意して自衛しようってことですね。
(特に自転車はそれなりに速度がありますので。今回の運転手みたいな風だと、いきなり視界に自転車が出現して急ブレーキ、ということになりそう。)

事故に遭わない秘訣はと言うと、
「歩行者は飛び出すもの、車は止まらないもの」
「自分以外は交通ルールを知らない」

と仮定する事だと思っています。
完全にそう考えてしまうと外へ出られなくなってしまうので、人々はある程度仮定を緩和して近似解を求めている。
そして近似だから誤差(事故)が生じてしまう。

似たようなよくあるケースで、主要な道路へ脇道や駐車場から合流する場合。
徐行はしているけれど、運転手の視線は進路上とこれから彼/彼女が合流する道路の自動車がやってくる方向(つまり運転手は右を見る)のみ。
合流する道路の手前にまずある歩道/横断歩道上へと左右から近付いてくる物体は、まるで彼/彼女の世界には存在しないかのよう。
歩行者なら止まれるからいいです。15km/hの自転車だと?
運転手の向かって右側から近づく(つまり車道の自動車と同じ進行方向)なら視界に入るので運転手も気付けます。
しかし左側から近づくモノは見えてません、いや、見ていません。

実際自分もそれでぶつかってしまいました。自動車側が止まりかけていて速度ほぼゼロだったところの側面に自分がぶつかっていく形になったので、膝を打った程度で済み自転車もレンチで修復できる程度。運転手はぶつかって初めて気付いていた。

普段走行していてこの事例が一番気になる(実際に事故がどれだけかは不明)。主要な道路ほどその傾向が強い(自動車専用道と思っているのか?)。

完全では無いけれど回避方法は「向かって左側の歩道を通行する」
たいてい車道を挟んで両側に歩道がありますが、自転車は自動車と進行方向を合わせよう。今は歩道上ではどちら向きにも自転車が走っていますが、その進行方向を制限するわけです。
個人的に心がけるだけでもいいですが、ぜひ全体で実行してもらいたいです。

遠回りになって面倒ですって?
当然。車両なんだから。自動車だったら目的の駐車場へ入れるために遠回りも普通にするでしょう。近いからって反対車線を逆走したりしません。
自転車なら降りて押して歩くことができるのでまだマシですよ。

左側歩道通行は安全のためもありますが、むしろ自転車も車両だという意識を取り戻すことが肝心なところです。
もちろん理想は自転車道ですが、現実的にいきなりそれは無理(歩道通行禁止で車道走行に戻るというのも、ありそうにないし)。とりあえずこれから始めてみたらどうでしょうか。

もちろん左側歩道の車道寄りを通行しましょう。でないと、建物や脇道から出てくる人にぶつかりますよ。

大人公園

2004年10月21日 エッセイ
(www.f7.dion.ne.jp/~moorend/の2004/10/20の雑事を参照)
いいなー面白そう。有料でも行きますよ。
建築現場でバイトしていて、足場を登り降りするのが楽しかったのを思い出しました。
もちろん、googleで「ハイジ ブランコ」を検索したのは言うまでもありません。

巨大ジャングルジムに登りたいのなら、フリークライミングとかのアウトドアスポーツをやればいいんじゃないでしょうか。ちょっと気軽さに欠けますが、ジャングルジムはそれらの模擬に過ぎない気がします。
けれど趣味の時間ってのは童心に返るための時間なのかも。
子供時代に公園で体を動かして遊んだ経験が、その後のアウトドア好きに影響したり。

…ワシ?
ワシは主に独りで遊んでたから、今でも独りでできる遊びが好きじゃな。むしろ小学生の頃からやってることが変わってない気がするのぉ…


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愚痴
エレベーターも降りる人優先じゃねぇのかよ。
降りる人がいるのが分かっても、進路を塞ぐようにして乗り込んでくるってどういうことだよ。
乗り込む前に中に人がいるか確認したっていいじゃん。
急いで乗り込んだって、どうせ動き出すまでには余裕があるんだよ。
こんな人ばかりの大学嫌…

88年,99年を目にしていた者としては心配していた優勝の瞬間だが、今年は無事に迎えられました。

88年、本拠地ナゴヤ球場での胴上げに観客乱入
99年、ナゴヤドームで神宮球場の試合をパブリックビューイング。観客乱入

テレビの前で「頼むから名古屋の恥ずかしいところを全国に晒さないでくれ」と願う。幸い(?)ゲームには負け、過度の興奮状態には至らずに済みました。警備も多めだったみたい。

フィールドを踏み荒らす資格は、そこでプレーをする者のみに与えられる特権です。

今季のセ・リーグにダントツに強いチームがいなかったのも確か。
ペタジーニがヤクルトにいたら、中日とヤクルトとで面白いペナント争いになっていたかも。
そのお金で巨人は守備の上手なアベレージヒッターを二人補強するとか。

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大学ではツッチーが帰ってきてました。
昨年の秋からカリフォルニアへ留学していた同じコースの人です。
向こうの事情をいろいろ聞かしてもらいました。

卒業研究

2004年9月21日 エッセイ
テーマ決ってーい。
キーワードは「非最小位相系」。
来週は中間発表だけれど、これから開始です。

今期の成績が届く。
英語はやっぱりBだった。いやむしろBで済んだ、と言えよう。
結局、外国人講師の英語授業でAを取ることはできなかったっす…

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夜一時的に雨が強く降ったのですが、帰りの地下鉄でびしょ濡れの女の人を見た。大学生くらいっぽい。シャツ一枚だから、透けるのよ。

それでハァハァしてたってか?

ちょ、ちょっと待った
ち ょ っ と 待 っ た ー
誤解されては困るので真面目な文章で締めよう…

近くに傘を差し出すような気の利いた男がいないってのが残念でたまらない。その人の知り合いでなくても、通りすがりの紳士が傘を差し出すような、そんな社会がいいな…
オレは差し出しても断られた男だけど。

こんな時に上着を貸してあげられればとてもカッコイイんだけど、残念ながら今日はTシャツ一枚でした。夏はずっとTシャツ一枚です。
重ねシャツはこういう時のために着ておく物だったのか(誤解)
オレのなんか着たくないと断られるけど。
最近夜中に目が覚めることが多い。
相変わらずビクビクしながらトイレに行くんですが、気付いたことが一つ。

子供時代はオバケとかアブダクション(某国による拉致、じゃなくてグレイとかのアレね)とか相当怖かったはずだが、成長するにつれてあんまり怖いと思わなくなった。他の人もそんな感じだろうけど、これって恐怖心が克服できたんじゃなくてそれらよりもずっと怖いモノを知ってしまったのが原因なんだろうな、なんて。それに比べたらオバケなんて全然大したことないからね。

つまり恐怖の対象が替わったわけだけど、「ずっと(おそらくこの世で最も)怖いモノ」が具体的に何を指すのかなんてのをここで言うのは野暮なので、それはやめとく。

しかし、もしガキンチョがこんなこと語ってたら全然可愛く無いだろーなー。

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話は変わって今日は院試の結果発表らしい。
たぶん郵送されてくると思うのでそれを待つと同時に、友人に掲示も見てもらう。受かってたらまた移動せにゃならん。

試験直後は受かってると思ってたけど、だんだん不安が募ってきました。
堕ちてたら晴れて落ち武者です。
初め、慣れないうちはいくつか失敗をする。
だんだん慣れてきて消極的に失敗はなくなる。良い意味で消極的になるのかもしれない。当人の中で「ここまでなら絶対大丈夫」という線引きができるようになるため。

ところがそのボーダーラインは次第に危険な側へ下げられる。「ここでもまだ大丈夫、まだ大丈夫」
充分慣れてきて余裕がでてきた頃に、トラブルは再び訪れる。

で、何が言いたいの?

いやその、今回車を擦ったのも慣れてきた証拠ってことで…

黙って早よ塗れ

トホホ…
つーことで、アルテッツァにトヨタ純正の(!)修正液を塗りました。

ひけらかし

2004年2月27日 エッセイ
銀林浩・銀林純,基礎からわかる数・数式と図形の英語,日興企画

何とか読み終えた。
I managed to finish reading.
 

知っていることをフルパワーでひけらかす品のなさよりも、いろいろ知ってても使わずにすませる余裕のほうが好ましい。
冬樹蛉の間歇日記2003/12/29より。知識をひけらかしてる人を見て不快になるのは、自分にもその傾向があるからか。時々自分も同じ事をしていてその度直そうと思ってしまう。
ひけらかしが嫌味にならないのは、聞き手にとっても有用な情報である場合のみだと思う。

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